成均館大学校 東アジア学術院プログラム 招聘研究者

曺 蒼錄 / zou chanroku

経歴
1990年成均館大学 漢文敎育学科 卒業(学士号)
1992年韓国古典翻訳院 硏修部 卒業
1993年成均館大学 漢文学科 修士課程 修了(修士号)
2003年成均館大学 漢文学科 博士課程 修了(博士号)

研究テーマ
徐有榘の学問と東アジア
(『和漢三才図会』の朝鮮伝来について)

[一] 硏究の経過と方向
私は2003年、楓石 徐有榘(1764~1845)を主題に学位論文を書いた以来、
徐有榘を中心とする徐氏家門の学術と思想に注目して研究している。
徐有榘は朝鮮後期の代表的実学者の一人で、主要著述に『林園経済志』がある。
また徐有榘の父と祖である徐浩修と徐命膺は英•正朝時代の重要人物で、
特に天文(暦法)、数学に造詣が深い者であった。
私は徐有榘の学問とその淵源を研究して行くつもりである。
[二] 徐有榘家の学問と東アジア
徐有榘家の人物たちは多くの中国使行を通じて、
中国や西洋及び日本の文物を受け入れるのに熱心であった。
徐浩修は1791年 北京にあるマテオリッチの墓を訪問したことがあり、
徐命膺は実際に行くことはなかったが、癸未(1763)年日本通信使の正使に選ばれたこともある。
このような家学をもとに徐有榘は、農学を中心とする実用的学問に没頭するようになる。
例えばそれは農学と関係深い西洋の天文数学、 日本からサツマイモを導入する事などである。

また前に述べた『林園経済志』には寺島良安の『和漢三才図会』が300か所以上引用されている。
[三] 学習院大学ですべき事
現在、私は『林園経済志』関連資料をみているが、
その中には日本の図書館に所蔵されている物もある。
また徐有榘はどのようなルートで『和漢三才図会』を
入手したか
ということに興味を持って、文集類と通信使関連資料をみている。
そこで、まず東京の図書館などに所蔵されている関連資料を調査したいと思う。
また、機会があればどのようなルートで『和漢三才圖會』が
朝鮮に伝来流通したかと言う点について発表したいと思う。